`

お地蔵さん

料識亭(ころんぶすのたまご)
ホームページの構成説明へ
ブログへ
お地蔵さん
つながり 一覧図表
ビジネス 一覧図表
安  全 一覧図表
科  学 一覧図表
感  謝 一覧図表
教育勉強 一覧図表
健  康 一覧図表
雑談会話 一覧図表
子 育 て 一覧図表
自  然 一覧図表
社  会 一覧図表
取り組み 一覧図表
習  慣 一覧図表
商  品 一覧図表
笑顔笑い 一覧図表
情報知識 一覧図表
色  彩 一覧図表
食 べ 物 一覧図表
心 構 え 一覧図表
世  間 一覧図表
政  治 一覧図表
組  織 一覧図表
文  化 一覧図表
コミュニケーション 一覧図表
「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2026年7月10日(金)
鎌倉 十字架を模した紋がいまも残る「光照寺」
 光照寺の山門の梁に、十字架を模した30cmほどの紋がいまも残っている。もし、この十字架を模した紋が、隠れキリシタンの遺物だとしたら、そのキリシタンたちはこの鎌倉で、どんな生活をしていたのだろうか。想像するだけでも興味深い。

 光照寺は時宗の寺で、正式には西台山英月院光照寺である。十字架紋のある光照寺の山門は、箱根湯本の早雲寺の末寺だった東渓院山門だったが、同院の廃寺により、山門が光照寺に移されたという。

 東渓院は北鎌倉の北西の大地にあったというから、光照寺とはそれほど離れていないところにあったといえようか。

 臨済宗のお寺だった東渓院は、九州・大分竹田藩の藩主だった中川氏の娘の菩提所として建立されたもの。キリシタン大名のいた九州に領地を持っていた中川氏が、キリシタンと関係があっても不思議ではない。そう考えると十字架を秘した紋を山門に掲げたのもうなずける。

(「鎌倉なるほど事典」 楠本勝治著)
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

自分に不利でも「いや」と言わない……!
尾道 旧市街で唯一名前がある坂?「蓮花坂」
人と出会えば、何かが生まれる!
厚木 かっては石神社と呼ばれた「荻野神社」
「世界経済」に協力するか、または逆らうか!
鎌倉 鎌倉時代に広る熊野信仰「熊野神社」
将来、食糧難が起こるのか?
尾道 干満潮の差は3mを越る「昔の船着き場」
二人の名医、それは、発熱と食欲不振!
相模原南 縄文の住居を再現した「勝坂遺跡」
自分の個人的な経験を重視すると!
鎌倉 源氏の白旗を立て戦勝を祈願「源氏山公園」
辛い食べ物がブームの現在、辛そうな赤色でデザインが盛ん!
愛川 かって五十余の院・坊があった「八菅神社」
税を払う側が善良や従順であるとは限らない!
尾道 室町時代の様式の特徴をとどめる「西郷寺」
梅雨時「ずいぶん蒸しますね」でとどめておいたほうが!
鎌倉 四季花が絶えない美しい庭もある「光則寺」
忙しい中で時間をつくり出す!
福山 鞆 石山合戦に参加した「明圓寺」
黒点が増えると地球は暖かくなる!
尾道 尾道随一の名水“延命水”の「正念寺」
縄文時代の日本人の平均寿命は15歳ほど?
鎌倉 足利尊氏が後醍醐天皇への挙兵決意「浄光明寺」
その他 特 集

相武台公民館にて「台湾少年工と高座工廠」
プレゼンテーションへ

 test1 test2 test3
 参考にした書籍・場所
 
 この寺は、1279~1280年(弘安2~3年)ごろに、一向(いっこう)が開いたと伝えています。一向は、時宗を開いた一遍(いっぺん)の弟子で、極楽に行くのには自分の力では難しく阿弥陀如来の力にすがるほかにないという教えを説きました。一説には、一遍が、1282年(弘安5年)に鎌倉に入ろうとし止められ、一夜を明かしたところにこの寺が造られたといわれています。
 本堂は、山門奥正面に見え、本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい)像や両脇に観音(かんのん)と勢至(せいし)の菩薩像(ぼさつぞう)を安置してあります。阿弥陀如来の中に、「正長二年」(1429年)と修理した年号が書かれているので、それ以前に造られたものと思われます。観音と勢至の像も貴重な室町時代の彫刻です。脇に東渓院から移された「天文二十五年」(1556年)の年号がある釈迦(しゃか)如来像があります。そのほかに、台座は室町時代の作で、江戸時代に作られたとみられる日限(ひぎり)地蔵と呼ばれる像や薬師如来(やくしにょらい)像、一向上人(いっこうしょうにん)像などもあります。
一遍上人

 延応元-正応二(1239-89)人九)時宗の開祖。伊予の人。はじめ比叡山で天台を学び、ついで大宰府の聖達について浄土門を修め、新しく時宗を唱え勧進帳と念仏札をもって全国を遊行した。踊念仏も名高い。その生涯は『一遍上人絵伝』に詳しく描かれている。遊行中の弘安五年(1283)鎌倉へ入ろうとしたところ、巨福呂坂で執権北条時宗の一行にゆきあい、伴の武士に杖で打たれて追いはらわれた。しかし、その夜、近くの山中での念仏には多くの人びとが集まった。