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料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2026年6月8日(月)
福山 鞆 多彩な歴史の足跡が刻まれる「小松寺」
 延元元(1336)年二月、足利尊氏が九州から大挙東上の途中、弟直義と当寺に宿陣して軍義した。光厳院の院宣を受け錦旗を掲げ意気衝天した。

 暦応二(1339)年、鞆合戦。南北朝期当寺に本営を置きし北朝軍と大可島に陣する南朝軍との激戦は十数日にも及び、旧記什物は勿論殿堂灰燼に帰し、大永年中安国寺六世曇叟華禅師再建し禅刹とす。
※暦応三(1340)年とも・・・

 大永年中(1525年頃)、安国寺六世・曇隻華(どんそうか)禅師が再建し禅刹とした。

 天正三(1575)年、京を追われた15軍・足利義昭が、当地に宿陣の毛利輝元を頼って当寺に愚居したが、羽柴秀吉と毛利の和議が成立するや、常国寺(山を隔てた熊野町)に移住した。

 古人曰く「足利は小松に興り、小松に亡ぶ」といわれた。
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

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 参考にした書籍・場所
 






 建立の際記念に松の木を植えた。重盛は「もし、この松が天に伸びれば平家は栄え、地に這えば平家は衰退するだろう」と言い残す。
(樹齢850年の偉容を誇っていたが、昭和二十九年(1954)の台風によって倒伏した。)
 瀬戸内の要港にある古刹であり、同寺へは高憎や将軍の足利尊氏・義昭、朝鮮通信使等の多彩な歴史の足跡が刻まれる。

 特に、本堂に掲げられた琉球使節の扁額、境内の「琉球司楽向生碑」は、よく知られるところである。






琉球司楽向生碑

 琉球使節が「江戸上り」の途中、鞆で病死した楽師・向生は、猫屋の菩提寺、小松寺に埋葬され、墓石と共にこの追悼碑が、福山藩によって建てられた。