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料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2026年4月3日(金)
鎌倉 望みが絶たれた徳川忠長を供養「薬王寺」
 昔は梅嶺山(ばいれいざん)夜光寺(やこうじ)とい真言宗の寺でしたが、1293年(永仁元年)日朗(にちろう)の高弟だった日像(にちぞう)が開山となって日蓮宗に改められたと伝えられています。

 また、梅立寺(ばいりゅうじ)とか梅嶺寺(ばいれいじ)とかの名も伝わっていますが、江戸時代の初めごろ日達(にちたつ)によって薬王寺と改められ再興されました。その後、徳川忠長(ただなが)が1633年(寛永10年)高崎で自刃しましたので、

 妻の松孝院(しょうこういん)殿(織田信長の次男信雄(のぶかつ)の娘)は、夫の霊を供養するためにこの寺に墓を建立し、多額のお金と広大な土地を寄進しました。

 こうしたこともあって、一時は3,000坪(約1ha)ほどの境内に五重塔やいろいろな建物が造られるほどの大きな寺になりましたが1720年(享保5年)にすべてが焼失してしまいました。
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

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 参考にした書籍・場所
 






     観音堂(本来は釈迦堂)
観世音(観音)菩薩とは
 「観世音」は「世の音を観(み)ろ」とも読めるところから「世の人々の声をはっきり見極める方」と言われ、私たちの願いを聞き、救済するために三十三身に化身すると経典に説かれています。
 本堂は公開されていませんが、中には中央に日蓮上人(にちれんしょうにん)像、その前に大黒天(だいこくてん)像、左に開山の日像上人像、右に馬頭観普(ばとうかんのん)、観音菩薩(かんのんぼさつ)などが安置されています。
 日蓮上人像は、高さが90cmほどあり、日連像としては大きな方で、開いたロに歯と舌が見える珍しい像です。信仰上の理由から上半身が裸なので、実物の法衣(ほうい)と袈裟(けさ)を着せてあります。また、背中の腰の部分には四角い穴があり、そこから中に将軍の遺骨を納めたと伝えられています。
 釈迦堂の裏に、大きなやぐらがあります。不思議なことに、このやぐら内の地面に直接置いた石像は、どんな材質のものでもだんだんとけていくのだそうです。現在、やぐらの入口近くに4体の石像が並んでいますが、どれも像の輪郭がわからないくらいにとけています。このあたりは海底が隆起(りゅうき)したところなので、塩分の影響が大きいのではないかと考えられています。