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料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2026年10月22日(木)
鎌倉 稲荷明神像もある「本成寺」
 本成寺(ほんじょうじ)は、神奈川県鎌倉市腰越にある日蓮宗の寺院。

 旧本山は小町本覚寺、潮師法縁。龍口寺輪番八ヶ寺の一つ。

 延慶2年(1309年)、淡路阿闍梨日賢が建立した。

 門を入った正面に本堂があり、右側に墓地、左側に庫裏があります。

 日蓮(にちれん)の弟子日賢(にっけん)が1309年(延慶2年) に開いたと伝えられています。

 本尊は、三宝本尊(祖師)という「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」のお題目が書かれた塔と釈迦如来、多宝如来で、日蓮上人像とともにまつられています。

 また、岩の上のキッネにまたがった稲荷明神像もありますが、これは「教(経)-稲荷」と呼ばれ、左手に宝珠を持つ江戸時代のものです。

(鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より)
● 知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

・ひとつひとつ経験を積み重ねた上で、成長していく!
・尾道 行基菩薩創建と伝えられる「西国寺」
・生物は、生存を賭けて競争しているのでは?
・厚木 親鸞が東国布教の折りに滞在した旧跡「弘徳寺」
・似た価値観を持っていると安定した関係になる!
・鎌倉 鎌倉交通の要衝であった「化粧坂」
・お役人というのは、儲けるという発想はない!
・尾道 伽藍配置で最南端部に造営される「熊野神社」
・自分に不利なことはすべて周囲が悪いためだ?
・海老名 神仏分離までは有鹿神社の別当寺「総持院」
・遺伝子も時折ミスコピーされる!
・鎌倉 百観音がある「円覚寺 大方丈」
・人間は、耕せば実り豊かな畑になる荒れ地!
・尾道 よく「見よう・言おう・聞こう」三猿の教え「大山寺」
・強者の「共生論」はかなりいかがわしい!
・厚木 明治初年、町内の神社を合紀した「厚木神社」
・世の中には絶滅する動物と生き残っている動物がいる!
・厚木 戦国毛利氏の祖 季光ゆかりの「光福寺」
・1日約2%の細胞が死に、新しい細胞と入れ替わる!
・鎌倉 奥の岩屋に不動明王が「岩窟不動尊」
・江戸時代には「恩送り」という言葉があった!
・尾道 江戸時代、伝書鳩と米相場 「浄土寺」
・鎌倉幕府の成立年を1185年と唱える歴史研究者が登場!
・相模原 相模川支流んから本流へ 「三段の滝」!
● その他 特 集

・相武台公民館にて「台湾少年工と高座工廠」
・プレゼンテーションへ

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 参考にした書籍・場所
 
 日蓮は『法華経』への帰依を激しく幕府に求め、鎌倉の人びとにもすすめましたが、かえって反発をまねくことになりました。草庵を襲われたり、伊豆に流されたり、命にかかわる法難を四度にわたってうけました。文永八年(1271)の四度目には幕府の手で捕らえられ、龍(たつ)ノ口の刑場で斬首されることになりました。そのとき、江ノ島のほうから月のように光るものが現れ。斬首は中止になって佐渡に流されることになりました。
 本堂には本尊三宝祖師と日蓮上人像が祀られている。
 日蓮は日本における釈迦如来の直弟子だという自覚に立って自身を上行菩薩になぞらえ、大曼荼羅の題目の真下に花押(署名)を入れました。大曼荼羅には日蓮が『法華経』の諸尊の世界にいることがあらわされています。このため、日蓮宗では仏壇の内部に「日蓮聖人」の像を祀るのが習わしになっています。






 頼朝が伊豆の蛭ヶ小島に流刑になっていたとき、ある夜、翁が枕元に現れ、「兵を起こし、平氏を滅ぼし、天下を統一せよ」と激励したと言う。 さっそく、頼朝は鎌倉に入るやいなや、稲荷の神霊に感謝して、佐助山の隠れ里を選び、社殿を造らせ、佐助稲荷神社とうしたと伝えられている。 このためか、鎌倉には稲荷を祀るところが多い。