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お地蔵さん

料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2025年4月25日(金)
尾道 技芸が上達する「お経の塚」がある「海龍寺」
 奈良の西大寺の定証上人が西国巡礼の途路、当時の曼荼羅堂といわれていたこの寺に住み、荒廃していた浄土寺を建立したと伝えられている。

 その頃備後太田庄の荘官でこの寺の別当職であった和泉法眼渕信がこの寺を定証に寄進したという古記録がある。

 正中二年(1347年)には炎上したが、直ちに再建され、寺名を現在の海龍寺と改めたのは寛文二年(1662年)である。

 本尊は鎌倉末期のものといわれ千手観音菩薩である。山門の直ぐ右側に文化七年(1810年)の文楽之墓と文政三年(1820年)の竹本弥太夫の墓があるが、これは江戸の末期に尾道の浜問屋の檀那集が大阪から文楽師匠を招いて余暇を楽しんでいて師匠の死語追善供養の為建てたものである。

 庫裡の裏庭山麓に広がる大盤石は花崗岩の多い尾道地方でもめずらしい巨岩である。
`● 知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

厚木 古い石仏が数多く掘り出された「金剛寺」
朝からくたびれているのは、それだけで罪!
鎌倉 円覚寺、石段を上がると国宝の梵鐘「鐘楼弁天堂」
河童の原型は太古から、明確なイメージが誕生したのは近世!
福山 万葉集にも歌われた「昔の鞆の港」
お年寄りになっても心身ともに活動的!
尾道 村上水軍の信仰を集めた「光明寺」
一日のメインの食事は夕食だ?
江の島 台湾近代化の尽力者を祀る「児玉神社」
騎馬遊牧民が最初にあらわれたのは、紀元前1000年頃!
鎌倉 夢窓国師が瑞泉院を建立、その後「瑞泉寺」
「やり方が悪いのかもしれないから工夫してみよう」と!
尾道 自然石に刻まれた25の文学碑「文学の小路」
近代国家がかくも悪くなったのは、集団と競争のせい?
厚木 奈良時代後期のころ創建「七沢観音寺」
日常的に心がけることとしては、食事が大切!
福山 鞆 法華経こそ仏の真の教えと日蓮宗「妙蓮寺」
関税は、国の経済を発展させるが戦争も起こす!
鎌倉 北鎌倉駅方面の街並みが良く見える「八雲神社」
チャレンジと失敗を繰り返すことで、うまくいくようになる!
尾道最大の磨崖仏、浄土寺山「不動岩」
お金に重きを置くと、お金はあっても人々が飢えてしまう!
厚木 平安初期の美人小野小町を祀る「小町神社」
2時間ドラマの舞台になることが、観光地になる第一条件!
その他 特 集

相武台公民館にて「台湾少年工と高座工廠」
プレゼンテーションへ

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 参考にした書籍・場所
 江戸時代の人形浄瑠璃家「文楽軒」と「初代竹本弥太夫」の供養塔 。(大阪以外にあるのは大変めずらしい。)
 手・指を使う文楽にちなみ、「お経の塚」に触れることで技芸が上達すると言われています。

 「文楽」人形浄瑠璃の竹本弥太夫の墓 作者に近松門左衛門、太夫に竹本義太夫などが出、演劇の一様式として確立。現在「文楽」として伝承されているものはその流れ。






 ご本尊千手観世音菩薩(説明板より)。
 木造千手観音立像は、寄木造りによる四十手像である。保存はきわめて良好で目は玉眼、脇手に繊細に彫刻された指先は写実性に優れ、魅力的な姿であると同時に、豊麗な面相は洗練されたものであり、鎌倉時代前期の作として県内における代表的なお姿である。
 大きな岩が境内の奥(東)の方にあります。

 裏山は浄土寺山(瑠璃山)という山で、登山道を登るルートの他に、海龍寺の裏手からは3つの鎖場を経て歩きで登るルートもあります。

 2019年2月19日午前2時10分頃、この寺で火事があり、地蔵堂など2棟が焼けました。仏像を盗んだ後、放火したとのことです。