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お地蔵さん

料識亭(ころんぶすのたまご)
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「知識の組み合わせ遊び」へ と 「風土の探検」へ
2025年12月166日(火)
鎌倉 開山は空海と伝えられる「浄泉寺」
 昔、神仏を一緒にまつっていた時代には、今の小動神社は八王子社(はちおうじしゃ)と呼ばれ、浄泉寺はその別当寺となっていました。

 そのため、1917年(大正6年)まで、浄泉寺の住職が小動神社も管理していました。

 神仏分離令以後もこのような形をとっていたのは珍しいことです。

 こうしたことから、1333年(元弘3年) に新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉攻めのときに八王子社に奉納した剣が、この寺に保存されていたことがあったといわれています。

 また文治年間(1185年ー1189年)に、佐々木盛綱(もりつな)が船上からこの寺を拝んだという話も残っています。
知識の組み合わせ遊び・風土の探検 履歴

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相武台公民館にて「台湾少年工と高座工廠」
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 参考にした書籍・場所
 
 以前は、山門も本堂も、江ノ電の線路の方を向いて建っていましたが、1955年(昭和30年)に国道134号線が造られた際に現在の位置に移されました。国道の工事中の1954年(昭和29年)に、浄泉寺墓地の南側と小動神社境内から、開元通宝(かいげんつうほう)・治平(じへい)通宝・政和(せいわ)通宝・洪武(こうぶ)通宝その他、宋(そう)や明(みん)の古銭が1000枚以上、約60kgも出土しました。
 本尊は不動明王。恐ろしい顔をした不動明王は大日如来の使者で、右手に剣を持ち、左手に羂索(縄)を持つ。その剣で煩悩を断ち切り、羂索で煩悩を縛り、人々を救う。
 不動明王の顔は左右が対称をなしていない。その目は、右目は全開しているのに、左目は細く閉じており(ただし両眼を全開したものもある)、右目では天を見、左目では地を見ている。口も左右非対称である。右下の歯で右上の唇を噛み、左右の犬歯(牙〉の右は上に、左は下に突き出している。動明王像ではそれらを左右非対称にすることで、恐ろしさが強調されている。
 浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるという信仰が強まり、地蔵に対して地獄における責め苦からの救済を欣求するようになりました。