親鸞聖人が言われた---「善か/悪かについて、自分は何も知らぬ」と。エスカレーターの片側をあけるのが善か/悪か、わたしたちには分かりません。いや、そんなことに関心を持つなというのが親鸞の考えでしょう。
なぜ関心を持ってはいけないかといえば、親鸞はこう言います。……煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのことみなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします……(同前)
わたしたちは煩悩にまみれた凡夫です。だから善/悪の判断はできません。
それにこの世界は、有為転変の火宅です。すべてが嘘いつわりであって、真実なんてこれっぽっちもない。
今日、善であったものが、明日には悪とされる。そういう世の中で、善/悪を判断したって仕方がない。だから自分は仏教者として生きる(念仏のみぞまこと)と、親鸞は言っているのです。
だから、わたしも日常生活においては、世間のことは気にせず、阿呆な仏教者になって、「みなさんは、どうぞお先へ……」の精神で生きようと思っています。
(『気にしない、気にしない』ひろさちや 著より)