石楯尾神社
相模原市南区磯部  標高:91.2m
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 石楯尾神社の創建年月日は不詳ですが、祭神として「大己貴命」(おおなむちのみこと)を祀り、往時より村の鎮守様として樹朴鬱蒼と茂る羽黒山頂に鎮座し、明治初期までは「羽黒山大権現」と称していました。
 羽黒山(山形県)は修験道の霊地であるため、おそらくこの神社の境内でも江戸期には盛んに山岳修行が行われていたのではないかと考えられます。
 寛政12年(1800)社殿を再建し、天保5年(1834)2月には社殿の修復が行なわれ、その時に同年に製造された釣鐘も設置されていましたが、その後、戦争中に奉納され現在はありません。
 明治5年8月には覆殿と拝殿を改修し、その駅地元の中村大吉氏(明治24年没)から雲竜図が奉納されました。この雲竜図は神社前殿に描かれており、この雲竜図の真下で両手で叩くと音が反響する現象(鳴き竜)が生じるといわれています。
 この神社が石楯尾神社という名称になったのは明治の初め頃のことで、式内社の中に石楣尾神社の名が見られますが、それはこの神社でなく、藤野町にある石楯尾神社ではないかというのが一般的な見方とされています。
 なお、石楯尾神社の「石」の字の「口」の上に「、」があり、「いわ」と読ませています。
 小高い丘から集落を見下ろす位置にあるこの神社に行くと、阿闍羅尊の石仏が脇に立つ鳥居をくぐると長い参道が続き、途中、明和5年(1768)の延命地蔵がありますが、これはその頃ここに比丘尼(びくに)が住んでおり、その人が祀ったものだといわれています。さらに、なだらかな参道を登り、最後に121段の石段を登りきると、本殿にたどり着きます。参道が意外と長いのできつく感じる一方、荘厳で趣のある神社といえます。(『新磯コンセルジュとともに』より)
 この名の神社は市域に三座ある。磯部の勝坂の鎖守(祭神大己貴命=大国主主命の別名)、藤野町佐野川の鎮守(狭野尊=神武天皇の別名。この社の御神体は本殿いっぱいの大石)、藤野町名倉の鎮守(祭神日本武尊・木花咲耶姫命など)。市域を外れるが座間市入谷の鈴鹿神社の境内社にもこの名がある。記録上は<天安元年五月丙辰(二十日) 是日 在相模国從五位下石楯尾神預官社>(文徳天皇実録)とあり、この後が「延喜式」で<高座郡六座>の中の一つに<石楯尾神社>があり、いわゆる式内社である。どの神社が式内社に当たるのかは未だに確定されていない。また、この古名を持った社が途中で諏訪神社と改名されている例もあって、大島の諏防神社もこれに該当するといわれ、論社の数がいっそう増すことになる。項末論文では名倉の社を最有力としているが、相模川右岸は高座郡ではなかったことなどから若干の疑念は残される。
【参】菱沼勇他「相模の古社」学生社
(『相模原事典(かいていばん)』涌田 佑・涌田久子著より)