内藤清成陣屋跡
相模原市南区新戸2058  標高:35.4m
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 天正18(1590)年に、内藤清成が新戸に設けたとされる陣屋跡の伝承地です。
 内藤清成は、三河国岡崎の生まれで、相模国東郡(高座、鎌倉を合わせた郡名)内に五千石を拝領しました。広さ二反六畝余り(約2,600㎡)ほどであったといわれる陣屋は、清成が常駐するためのものではなく、市域における清成の所領である新戸村、磯部村、当麻村、下溝村、上溝村、田名村、大島村の七カ村を支配するために設けられたもので、名主の安藤主水が責任者とされていました。陣屋は領主が代わった後までありましたが、元禄末期に廃絶しました。
『内藤清成と陣屋小路』

 新戸安藤一氏宅一帯は「陣屋」と云われている。
 清成は、弘治元年(1555)三河国岡崎で生まれた。旧姓は竹田と云ったが、長じて徳川家康の部下であった内藤忠政の養子となり、たびたびの戦に功があった。
 天正8年には、青山忠成と共に二代将軍徳川秀忠のお守役となった。天正18年徳川家康江戸入府の際には、家康に従い、総奉行榊原康政を助け、城下町建設に奔走した。
 清成は新戸・磯部・当麻・田名・大島の五ケ村五千石を領有し、新戸に陣居を置いたという。
 清成は慶長3年には従五位下に、また、文禄元年には関東総奉行に、更に江戸開府後の慶長6年(1601)には、常陸・上総・下総にー万六千石を加増され、既有の石高と日わせー万一千石にも及ぶ大名となった。
 しかし慶長11年に、禁猟区となっている地区の害鳥の捕獲を、幕府の許可なく独断で農民に許可した罪に問われ、職を奪われた上、閑居させられた。慶長13年10月20日、54才で没した。法名を孤光院殿照誉峯月大居士と云う。
 今、陣屋に続く南、座間市上宿にある宗仲寺は、清成が父宗仲の菩提を葬うために建てたもので宗仲寺の開基とされている。尚、宗仲寺裏手には、内藤家一族五基の墓がある。
 新戸の陣屋は元禄13年に廃絶以来民有地となったが、「陣屋」という古名は、今尚留めている。
 陣屋とは、清成が所領であった新戸・磯部・当麻・大島などの各村々を支配するために設けた屋敷ですが、清成が失脚した後の元禄元年(1688〜1704)に廃絶してしまったようで現存はしていません。
 ただ、陣屋小路といった路地や陣屋稲荷という小さな稲荷社が祀られています。