建てられた年は不明。徳川家康に仕えた関東総奉行の内藤清成の陣屋(屋敷)がこの地にあり、その陣屋のこわされた頃ではないかといわれている。下新戸の鎮守。
全国に三千社といわれる白山神社。
明治の神仏分離令まで白山神社は三つの系列に分かれていた。白山比咩神社の奥宮は加賀、越前、美濃三カ国の境にあり、白山を源とする三つ川に沿って馬場(ばんば)と呼ばれる信仰登山の基地があり、それぞれに水源の神として白山神社を祀っていたのである。手取川沿いの加賀馬場には白山寺白山本宮(白山比咩神社)、九頭竜川の越前馬場には平泉寺白山神社、長良川の美濃馬場には長滝寺白山本地中宮があり、お互いにライバルとして白山の禅頂(山頂)の領有をめぐって争っていたのだった。そして、江戸時代末期の勢力は、加賀の白山寺白山本宮系統が約七百社、越前の平泉寺白山神社系統は約五百社、美濃の長滝寺白山本地中宮系統が一番多くて約千三百社だったといわれる。
この神社がある地域には、徳川家康に仕えた関東総奉行内藤清成の陣屋がありました。陣屋とは、清成が所領であった新戸・磯部・当麻・大島などの各村々を支配するために設けた屋敷ですが、清成が失脚した後の元禄元年(1688〜1704)に廃絶してしまったようで現存はしていません。
ただ、陣屋小路といった路地や陣屋稲荷という小さな稲荷社が祀られています。
現存の白山姫神社には享保8年(1723)の棟札が残されています。つまり、この神社は陣屋廃絶後にその跡地に建てられたものか、あるいは陣屋があったころからの小祠をこの時に再興したものと考えられ、当時は「白山大権現」と呼ばれていました。
新戸地域には上新戸地域の日枝神社と下新戸地域の白山姫神社の2社があります。どちらも「風土記稿」では村の鎮守となっていて「皇国地詩」では村社とされていますが、白山姫神社が村社であり昔から新戸地区全体で御祭礼をしていたということです。
白山姫神社は、相模川の水害から地域を守っている神社とも言われ、御祭礼は9月17日でしたが、後に4月17日の「春祭り」となり、今では、4月の第2土曜日が本宮となっています。