室町時代末期の永禄年間(1558年~)に天応院の六世勅特賜林甫了渓禅師寛応閑躰大和尚か開山したとのことであるが、寺の縁起など特に紹介していないので詳しいことは不明。
現在本堂は2002年に改修したとのこと。
「新編相模国風土記稿」によると、天応院(下溝)の末寺で、山号を礒平山(ぎへいざん)といい、観音菩薩を本尊としています。
寺伝によると、永禄年間(1558〜1570)に寛応閑体(かんのうかんたい)を開山、田所治左衛門を開基として創建されたと言われています。
現在の本堂は、天井板の墨書により、元禄11年(1698)に建てられたことがわかり、これは市内の寺院の中で確認できる最も古い建築であると考えられています。
ちなみに、この本堂では江戸時代には寺子屋が、そして、明治時代には「日新学舎」が開かれ、地域の児童教育の中心となっていました。
また、この地域には古くから長尾景春の「磯部城」があったとの伝承がありますが、その位置は諸説ありますが、能徳寺付近が主郭ではないかといわれています。
なお、開山忌は10月1日です。
〔「新磯コンセルジュとともに」より〕
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「新編相模国風土記稿」によると、天応院(下溝)の末寺で、山号を礒平山(ぎへいざん)といい、観音菩薩を本尊としています。
寺伝によると、永禄年間(1558〜1570)に寛応閑体(かんのうかんたい)を開山、田所治左衛門を開基として創建されたと言われています。
現在の本堂は、天井板の墨書により、元禄11年(1698)に建てられたことがわかり、これは市内の寺院の中で確認できる最も古い建築であると考えられています。
ちなみに、この本堂では江戸時代には寺子屋が、そして、明治時代には「日新学舎」が開かれ、
地域の児童教育の中心となっていました。
また、この地域には古くから長尾景春の「磯部城」があったとの伝承がありますが、その位置は諸説ありますが、能徳寺付近が主郭ではないかといわれています。
なお、開山忌は10月1日です。